ガンバロンのキャラデザイン:
どうやらこれが札木幾夫氏によるデザイン画の様です。ガンバロンに関しては(当時のテレマガ等は確認のしようがないのですが…)従来デザイン画が殆ど露出しておらず、非常に貴重なもの。仲々可愛らしく描けてます。また、パンフレットの表紙には結構リアルタッチで第1話、第2話に登場するオソロシゴリラが描かれていますが、このイラストのガンバロンも手の部分や鼻筋の曲線の描写が上のデザイン画と酷似しており、札木氏の筆によるものではないかと思われます。怪人ドワルキンのリアルな造形を考えると納得できるものがあります。
【企画意図・設定】
企画意図:
このかわいらしいキャラクターデザインをごらん下さい。
これが、わたくしたちの主人公「小さなスーパーマン・ガンバロン」です。
ロボットではありません。
小さなスーパーマンです。
変身活劇ものの古典「スーパーマン」の子供版と云えばお判りいただきやすいかと思います。
ふだんは全くふつうの子供です。
彼が「ガンバロン」であることは、親友たちでさえ誰一人知りません。
「ガンバロン」の活躍する場は、明るくさわやかな太陽の下です。
ツキ抜ける特撮シーン、はずむテンポと手に汗握るカラッとした明朗少年活劇です。
ドラマの世界は、これも今や古典的となった名作「鉄腕アトム」のあの世界です。
明るさ、かわいらしさ、あたたかい愛。そして、夢です。
子供の限りないロマンを感じさせる夢のある少年活劇。
これがわたくしたちのネライです。
従来から言われていた実写版鉄腕アトム指向(講談社のムック「ヒーロー大全集」での解説がルーツ)はやはり登場します。「ガンバロン」のストーリー全編をつらぬくハートウォーミーな感覚は、企画当初からの指向であった事が分かります。
設定:
丘の上に、ふしぎな白い洋館があります。
これが「小さなスーパーマン・ガンバロン」の「基地」であり「住居」です。
コンピュータの組み込まれた科学要塞です。
大きなガラス張りのドームの部屋からは、居ながらにして満天の星空が見えます。
この洋館の主は、小学生です。
天道 輝。5年生。
正義感の強い、冒険好きな腕白坊主です。
そして、この少年がガンバロンとなります。
こんな大きな屋敷と、現代科学の粋を集めたさまざまなシステムを残してくれたのは、故人のお爺ちゃんです。
お爺ちゃんは、世界でも一流の科学者でした。
はじめての孫に、自分の残せる限りの遺産を残していってくれたのです。
お父さんとお母さんは、アメリカにいます。
仕事のため、長期滞在中なのです。
では、こんな広い洋館に、ガンバロンはたった一人なのでしょうか?
いいえ。コンピュータ・ルームには、大電子頭脳「ゴエモン」がいます。
動くことこそありませんが、人間と同じように人格のある相手です。
たとえば、主人公と「対話」ができます。
難問題にぶつかったときには、たちどころにどんなデータでも与えてくれます。
但し、回答は出してくれません。
「自分のことは自分で解決しろ」というのが、ガンバロンの能力を信じた「ゴエモン」のあたたかい愛なのかも知れません。
(このことでもわかるように、この番組では子供を一人前の人格としてあつかいます。子供は小さな大人なのですから。)
でも淋しいとき、辛いときには、慰めや励ましの言葉をかけてくれます。
「機械」というよりも、ガンバロンにとっては、たしかな「よき友」であるのです。
「ゴエモン」の外観は、一見トボケた顔に見える(壁面一杯に組み込まれた)大電子頭脳ですが、常にやさしい目でガンバロンを見守り、ときに応じて、その「口」から、あたたかいミルクやアイスクリームや本を出してくれます。
天道輝が住む古い洋館は、外観のみ駒場公園にある旧前田利為邸が使用されています。さすがに「ガラス張りのドーム」は存在しないので、映像化されませんでした。ゴエモンはこの設定より随分怖い親父さんといった感じで、「負けて帰ってくるとすぐゴエモンを頼りにする!」とか輝を叱咤するシーンが多い様な(いやはや…)。ダイバロンを駆っての初陣でジャイアントゴリに敗れたガンバロンが再びダイバロンを呼んだ時、メカを発進させない厳しい対応が印象的。アイスクリームはくれなかったなぁ(いやはや…)。
そして「ムッシュ」と呼ばれる執事がいます。
三代に亘って当家につかえる忠実な下僕です。
輝がガンバロンとなって屋敷の窓から空へ飛び立つとき、そっとガンバロンに5つのパーツを着せかけてくれるのが、このイギリス紳士風のムッシュなのです。
ムッシュは無口です。
殆ど一言も喋りません。
ガンバロンが出て行ったあと、このムッシュとゴエモンがケンカすることがあります。「お前があんなことを云うからキケンな目にあうのだ」「ソノモンダイニハオコタエデキマセン」
2人(?)とも、主人公に対する愛があまりにも深い故なのですが。
そしてシリーズが展開していくと、序々にその巨大な全身をあらわす?…があるのです。
それは……巨大なロボット・ダイバロンの登場です。ダイバロンは全長35mのスーパーロボットで、バクシーン(下半身)とヒライダー(上半身)とトブーン号(ジョイント)のつの
(注:この部分の欠落は原文のまま)合体で出来あがるスーパーロボットです
操縦はもちろんガンバロンこと天道輝ですがそのパワフルな合体シーンはきっと話題になるはずです。
ふだんの少年輝にもどったガンバロンには、愉快で明るい4人の友だちがいます。
デスク、ケン玉、アリス、チーコ。
この4人は、廃車となったポンコツバスとその周辺の空き地を遊びの場にしています。
みんな、記者志望の卵たちです。ポンコツバスが、彼らの編集部です。「少年タイムス」というのが彼らの発行しているガリ版の週刊新聞でありの
(注:この部分の誤植は原文のまま)「取材活動」はそのまま子供たちの遊びであり、クラブ活動であり、冒険なのです。
ムッシュが三代に渡って天道家に仕える「下僕」であったという設定は、恐らく劇中では語られていないと思います。物語の中でのムッシュの輝に対する献身ぶりをみると納得できる処ではあるのですが。ダイバロンに関してはやはりシリーズ開始当初から登場が予定されていた様ですね。シリーズ構成的には当初から強化策を盛り込んだ異例の作りです。トブーンが「ジョイント」の役割を担っていたとは…これに関しては、第26話で巨人ドワルキンがダイバロンの弱点を「お前の弱点は分かっている!操縦席のあるそのヘソだ!!」と看破しますが、あれは単に操縦席があるというだけではなく、ジョイント部分を攻撃し、合体を破る明確な意図があったという事ですね。
少年タイムスの面々に関しては、企画書ではもうちょっと細かい設定があるのかも知れませんが、結構あっさり流されています(いやはや…)。「少年タイムス」がガリ版刷りであるらしい事は、劇中でも描写されていますが、週刊だったんですね。結構写真を撮ってましたが、ガリ版じゃ載せられないですね(いやはや…)。
ポンコツバスを提供してくれたのが、三枚目的ガンコ親爺のポンコツ屋です。
このオヤジの一人娘が、一流新聞社に勤める本物の美人記者で、このグループの後見役です。
ガソリンスタンドのオーナー、「大将」こと西郷大造と娘の新聞記者西郷百合はこんな感じ。「ポンコツ屋」は適当なロケ地が見つからなかった為に変更されたのでしょうか?ちなみに人物紹介では磯間署長に関する記述がありません。
輝を含めたグループは、その「活動」を通じて、よく事件に遭遇します。
そして、そのたびにガンバロンとも出逢うことになります。
グループは、視聴者と同じように、一ぺんにガンバロンの大のファンになります。
「カッコイイな!」
「かわいらしいわ」
「おれもガンバロンみたいに強くなりたいな」
しかし、誰も、この小さなスーパーマン・ガンバロンが、自分たちの仲間の輝であることを知らないのです。
それにしても輝は恵まれた子供です。
大きな家があります。
家の中にはどんな子供でも喉から手が出そうに欲しくなる仕掛けがいっぱいあります。「ゴエモン」や「ムッシュ」もいます、スーパーロボ「ダイバロン」もいます。
すばらしい友だちが居ます。
何一つ不自由なく、子供たちの憧れる山ほどの要素の中で暮しています。
____________でも、
本当にそうでしょうか?
ガンバロンは、時たまちょっぴりと淋しくなることがあります。
闘い終って日が暮れて、一人になったガンバロンが、ふと目に涙をため、広いドームを通して降るような星空を見上げることもあります。
それは、輝がどんなときにでもぐちをこぼさず、自分のけ
(注:この部分の誤植は原文のまま)の力で頑張り通す性格だからです。
この主人公の、子供ながらにじっと耐える姿は、視聴者子供たち
(注:この部分の欠落は原文のまま)に強い感動を与えてくれるでしょう。
やはり「ガンバロン」の名を背負った時から、こういう運命は定められていたという事でしょうか?「ガンバロン」って結構ドラマ的な魅力もあるシリーズだと思いますが、こういう部分にも理由がありそうです。先に登場する「子供を一人前の人格として扱う」というシリーズ方針も、これに貢献しているのかも知れません。
最後に説明しなければならないのは、悪役のことです。
企画意図の項でも述べました通り、本番組からは、あらゆる「暗さ」を排除してあります
そのため、悪役も、多少トボケた所のある、全面的には憎めない悪博士を登場させます。
ワルワル博士がその人です。
もしひねくれた性格でなかったら超一流の科学者になったことは疑いようもない才能を持っているのに、何故かガンバロンを目の敵にします。
(ガンバロンの正体が輝であることを見抜いている唯一人の人物です。)
ふだんからイジワル爺さんのワルワル博士は、ドワルキンに変身すると、本当の悪人になってしまうのです。世の中を大混乱させることが面白くてたまらず、そうせずにはいられなくなってしまうのです。
謎の怪人ドワルキンは、巨大動植物や、珍薬を次々と作り出し、日本中に事件と混乱をまきちらします。
われらのガンバロンは、この謎の怪人ドワルキンに敢然と立ち向います。
でも、その正体は、ワルワル博士だと見当はついているものの、決定的な証拠は何一つなく、事件は解決したものの、ドワルキンには今一歩の所で逃げられてしまうということになります。
こうして、毎回毎回、ワルワル博士=謎の怪人ドワルキンの悪だくみをめぐって、ガンバロンの明るく痛快な大活躍が展開します。
「あらゆる暗さを排除する」という方針も仲々大胆なテーマ提起。過去の「バロンシリーズ」が比較的哀愁のあるドラマを展開してきたのと比較すると、やはり少年ドラマという事で、制作側も気をつかっている様です。ワルワル博士に正体を知られているという設定は、やはり作劇しずらかったのかシリーズには引き継がれていません。